Solo Exhibition

「本内さよ子展」

会期:2001年 7月25日(水)〜27日(金)

会場:Design Festa Gallery(原宿)

 

急に、顔を描き始めた時期があった。

絵を描く時は、まず胸に上がってくる何かしらのざわつきがあり、白紙の画面を身体の前に置き、なんとなく画材を選び、ふと描き出す。何を描くと強く思わない方がいいと思っていた。意図した形を描きたいのではなく、意図しない側から受け取れる絵描きでいたかった。

その頃、描いていた画材がうまく扱えなくなり、絵に伸びやかさがなくなって少し困惑していた。抽象や植物や心象風景の中に、生命感覚が宿らなくなった。好きなものやことを思い出そうとして、パステルの触感や粒子の伸びやかすれが好きだったことを思い出し、描いてみようと思った。

同じような顔になるようで、全然別の人の顔が現れる。何人も何人も描いて、耳が4つある人ができてきて、あ、この人。と思った。柔らかい捉えどころのない表情の人。その人たちに会いたくて、何日も描いた。他の画材でも描いた。私はただ、人と話がしたかっただけなのかもしれない。


「もとのかたち ふたたびのかたち 本内さよ子展覧会」

Primeval form Rebirth shape Sayoko Motouchi Exhibition

会期:2010年 8月9日(月)〜14日(土)

会場:画廊るたん(東京/銀座)

かたちの精製

われわれが「みる」とき、われわれの思惑を含んだ視線がその物体の外形をなぞり、かたちを与える。視線によって、かたちを削り出そうとするかのようだ。そもそものかたちは生命の秩序に従って生成されている。かたちはわれわれの思惑の視線を退け、本来のかたちになろうとする最中で、外界との接点である輪郭を定めていく。 画家はその仕事のなかで「みること」と「かくこと」を繰り返し、かたちと視線がせめぎあうなか、いくつもの「かたち」に出会う。画家の絵を描く行程は 「かたちの精製」の過程であるといえる。われわれが出会う画中の「かたち」は「かたちの精製」の過程の何処の段階なのだろうか。



脆弱さの行進」展

Vulnerability Parade バルネラビリティ パレード

会期:2014年 9月23日(火)~9月28日(日)

会場:ギャラリー新宿座(東京/新宿)
同時開催 DRAW・ING PARTY

作者の中の未熟なこどもが世界に向かい合うときに、その脆弱さは世界に向かって開かれています。人々が持っている未熟なこども、内なる自然は、現代に生まれた我々には、様々な理由で禁じられています。それら内なる自然を絵画を通して形成していくこころみを Vulnerability Parade(バルネラビリティ・パレード)脆弱さの行進、と名付けました。鉛筆画、アクリル画、油彩画、手製本、映像作品を出品します。



午後のウサギ」展

Afternoon Rabbit

会期:2016年 1月25日(月)~3月25日(金)

会場:カフェ・ウィステリア(東京/麹町)

液体、固体、気体のうち、分子が一番活発に振動しているのは固体であるとどこかで読んだ。それから硬い木や金属を見ると分子の大変激しい振動を連想するようになった。装飾絵画様式は形が止まってるのだが生き生きと感じることがある。分子が固定され止まっているが故に、その中で激しく振動しているのだと想起した。であるなら、形を止めることができたなら、絵画に生命が宿るのではないか。絵画で形を精確に止めたいなどと力みかえった惰走が私の思考に巡っていた頃、午後のウサギは矢車草の元で遠方を眺めていた。



あいまいな境界」展

会期:2018年 7月23日(月)~28日(土)

会場:画廊るたん(東京/銀座)

真と虚、抽象と具体、現と幻、2元の間にある曖昧な境界をテーマに制作しています。鉛筆画は白と黒の間にグレーの階調が幾層も現われます。これらグレーの階調は、形を表すと同時に、形にならないモノの存在を作家自身に突きつけます。どれだけ描いても、何かが「あいまいな境界」に滲んでいき、それによって人間の内なる自然の豊潤さが表されていくように思います。